デザインのある光景Number: 10


Subject:

Magojidako

Text: Yoshiko Taniguchi

Photo: Kyoko Omori

Mother Comet No.22 | 2018.January

平安時代より前に、中国から日本に伝わったと言われる凧。江戸時代には一般化し、凧揚げは正月の遊び道具として、子どもたちの間で流行したそうだ。現在は飛ばせる場所が少ないことや遊びの多様化など、さまざまな理由から、凧揚げに興じる子どもの姿をあまり見かけないが、正月を迎えると、子どもの頃に遊んだ記憶を懐かしく思い出す読者もいるだろう。

北九州市戸畑区で凧を製作・販売している竹内義博さんも幼い頃、凧揚げに熱中した一人。「海に囲まれた北九州は、冬の北風が強かったから、凧揚げが盛んでした。祖父・孫次が作った凧は、模様やユニークな形もですが、なにより空高く揚がることで評判だったんです」と目を細める。

「明治の末期、竹内孫次氏が自身の遊び道具として作り始めた孫次凧。大きな目と鮮やかな色合いが印象的なセミ凧をはじめ、うちかけ凧、カッパ凧、ひょうたん凧など種類も豊富で、現在は福岡県の特産工芸品に指定されている。製作は、娘の梓さんと二人三脚。まず義博さんが小刀で女竹(めだけ)と真竹(まだけ)を細く削り、凧の形に応じて左右対称に骨組み。その上に手漉き和紙を張り終えたら、娘の梓さんにバトンタッチ。にじまないよう、細心の注意を払いながら墨で表情を描き、食紅で着色すると、郷土玩具「孫次凧」の完成だ。

実は、祖父から直接作り方を教わっていないと言う義博さん。祖父の逝去を機に、幼い頃からそばで見ていた記憶をたぐり寄せながら、26歳で凧作りをスタート。最初は会社勤めをしながらだったが、「もっと凧について勉強したい」と53歳で退社し、製作に専念。今は年間およそ2000枚の凧をコツコツと手作りしている。

凧は昔から縁起物としても愛されており、店を訪れる客たちも、正月飾りやインテリア、お土産として購入する人が多いようだが、凧はやっぱり、外で揚げて遊ぶのが醍醐味。50年近く、義博さんが孫次凧と向き合う日々の中で、製作の原動力になっているのは、祖父と一緒に飛ばし、胸を熱くした凧揚げの楽しい思い出だ。「もっともっと、凧揚げする人を増やしたい」と、国内外で凧作りのワークショップも開催している。目指すは大空で凧が舞い、子どもたちの笑顔がはじける、懐かしい光景の復活だ。

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